さらば青春の味
母が作ってくれたお弁当を黙々と食べます。最後のご飯を口に詰め込み、お弁当を片付け、廊下に出ると、テニス部が集まっていて、先輩からの修学旅行のお土産を分け合っていました。あれ、僕もテニス部なんだけど。見て見ぬふりをしてトイレに行きます。トイレの静寂が心にしみます。僕の青春、どこ行ったんだ…
今思えば、僕が一番青春していた時代は、小学生の頃だったのかもしれません。給食を早く食べ終わってはすぐに外に出て、鬼ごっこ、ブランコ、バスケットボール。クラス全体で遊ぶものもあって、無理やり苦手野球に参加させられていました。ルールがわからず、打ってからいきなり三塁に爆走したのは今でも覚えています。一輪車にひき逃げされて、大けがも負いました。今でも顔は覚えています。
給食当番という制度もありました。教室の隅で「お前あいつの好きな人知ってる?」「え、あいついるの?」「じゃあ教えてあげる代わりに、○○の好きな人教えろよ」「いいよ、じゃあいっせーのーででいうぞ」「「いっせーのーで」」「」「」「いえよー」「おまえもいえよー」「「ぐへへへへへ」」なんだこれ、気持ち悪い。給食運べよ。しかし、実際に小学校では好きな人の激しい情報戦が繰り広げられていました。
そんな僕が好だった給食は、「フルーツカクテル」でした。ほかにもいろいろあるんですが、やはりこれに限ります。
アレルギーが多い自分は、多くのフルーツが食べられません。時々祖母から送られてくる桃も食べられず、妹にバカにされる日々に、涙をこらえて桃味のこんにゃくゼリーを食べていました。そもそも、孫のアレルギーぐらいわかってくれ。
そんな僕が食べられるのが、フルーツカクテルでした。フルーツが食べられるという感動。あのプルンとした四角。人気だからこそ行われるおかわりを巡ってのじゃんけん。繰り広げられる心理戦。いつも負ける僕。そう、フルーツカクテル。あれが、僕の青春の味でした。
ほかにも、正式名称は忘れたんですが、「大根に田楽味噌つけたやつ」。あれを祖母に頼んだら、なんと作ってくれました。美味しかったんです。しかし、来るたびに祖母が田楽味噌をもってくるため、需要が追いつきません。アダムスミスも驚くほどの需要のなさ。そもそも、田楽味噌をつける料理なんて限られています。が、そんなことも気にせず、おばあちゃんは今頃一生懸命田楽味噌を準備していることでしょう。
ほかにもワカサギのから揚げ、レンコンのから揚げ、セルフドック、グリーンスープ。今でもありありと給食の光景が思い浮かびます。あの頃の友達、元気にしているのでしょうか。ちょっと連絡を取ってみようとラインを見たんですけど、見事に全員Unknownでした。そろそろ明日提出の課題をやらなくてはいけません。来週にはテストもあります。あぁ、
あの頃に戻りたい…
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